唐津ぐい呑み
唐津ぐい呑みの魅力は、素朴な土の温もり、土の味わい。「陶工」の目指したものそれは、「用の美」

古唐津の魅力-陶片


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古唐津の装飾性

「陶の姿は自ら定まり、文様は無にしてきわまる」

室町末期から桃山初期の、古唐津制作期の製品は、「無地唐津」が多く、装飾的な意識した絵文様のあるのは稀です。

僅かに文様的技法としては彫唐津と呼ばれる彫絵がありますが、これも僅かに線刻文を見受けるのみです。
その後、古田織部重然が文禄年間に長期滞在した影響で、「織部好み」の様式化した装飾性が加味されていったようです。

「織部以前」の唐津、あるいは「茶陶以前」の唐津といった時代分類を、古唐津鑑賞は行いますが、「織部以前」の制作期から安定期の初期の古唐津には、茶陶意識はありません。

「陶の姿は自ら定まり、文様は無にしてきわまる」といった禅語にも似た作陶の「掟」が、初期の古唐津の特徴としてその造形美を再発見することができます。

初期の古唐津の作品は、その「形」「姿」は、豊かな、ふくよかな丸味をそなえています。
壷率茶碗・皿類をはじめ、瓶類は角張った形状のものはあまり見かけません。

絵文様を描くのに好都合な灰釉ができると、装飾性が加わり、新しい意匠形状のものも成型され、文禄以後の古唐津は「織部好み」に類似した装飾性が加味されていきました。

織部様式の装飾性が間接的に古唐津の世界に影響すると、製品は僅かながらも明るい作調へと次第に変化していきました。

古唐津も時代が下ると形・姿のうえ、直線的な要素も加わりましたが、古唐津陶の形の魅力は、水引き成型の余韻を残した曲線的な造形美といえます。

古唐津には、「型もの」的な造形要素がないだけに、変形もないし、美濃陶のような直線的な形・姿もほとんどみられません。


「唐津その歴史」も参照

古唐津の種類

古唐津は多種多様な装飾

奥高麗

名称について昔から各種の説があり、曖味模糊とした点が多く見られます。
米量、根抜、是閑、中尾は奥高麗の一種です。
奥高麗茶箆は高麗茶怨を手本として作られたもので、井戸、熊川、呉器、柿の蔕などの形をしています。
土は狐色のざんぐりした土や、ちりめん皺のよく出たものと少ない土とがあります。
釉は長石釉で、白、枇杷色、薄い柿色、淡い青磁色などさまざまです。
奥高麗茶怨の出土した窯は焼山、甕屋の谷、藤の川内、市ノ瀬高麗神、川古窯の谷、薩の元、大草野などの諸窯です。

瀬戸唐津

奥高麗同様きわめて曖味な名称です。
瀬戸唐津には本手と皮鯨手の二種あります。

本手瀬戸唐津

砂気の多い白土でちりめん皺がよく出ています。
釉は長石釉で灰白、白、枇杷色等となり、高台削りの部分にカイラギ(梅皮花)が出ています。
青井戸、そば、熊川、呉器の形がありますが、見込に鏡、目跡は三または四か所あります。

皮鯨手

青井戸、そば形の本手瀬戸唐津を写したものが皮鯨手です。
白土の漉士で見込にある鏡に目跡が三か所ありますが、高台内の兜巾の部分に艶があります。
長石釉が枇杷、灰白等に発色しています。
口辺部に鉄絵の興が塗られ、あたかも鯨の皮に似ているところから皮鯨ともいわれています。

朝鮮唐津

元来は朝鮮産か唐津産かの区別のつかないところからきた名称です。
叩き作りで、底は板おこしになり、貝高台または仏殼高台で内部に青海波文がありますが、土灰釉か鉄飴釉をかけ、重量は軽い。
韓国では伊羅保といっています。
今日一般にいっている朝鮮唐津は、叩きまたは板おこしで作り、藁灰釉と鉄釉とをかけわけたものです。

絵唐津

古唐津のほとんどの窯で絵唐津を焼いています。
鉄またはまれに銅をよく摺り水にとかして文様をかき、長石釉をかけています。
珍しい例として藁灰釉をかけたものがあります。
斑絵唐津です。
また染色の型紙を使って文様をかいた摺り絵唐津があります。
絵唐津の意匠には李朝直伝のものと、日本化された織部風なものがありますが、志野、織部と全く同一のものが多く見られます。

彫唐津、彫絵唐津

胎土が軟らかいうちに、簡単な文様をかき落したものを彫唐津といい、彫文様にそって鉄砂を流しかけたものを彫絵唐津といいます。
彫唐津、彫絵唐津に長石料をかけたものが、飯洞甕窯から出土しています。
水指、花生、徳利等に簡単な文様を彫って、木灰釉、鉄等をかけた物加藤の川内、阿房谷、甕屋の谷、焼山等の諸窯から出土しています。

黄唐津、青唐津

土灰釉に含まれている鉄分が還元焔で青く、酸化焔で淡黄褐色に発色したもので、青磁系の釉で、透明性が強い。
古唐津のいたるところの窯で使われています。

黒唐津

土灰釉中の鉄分が多くなったもので、古唐津のはとんどの窯にあります。
岩石や粘土中に含まれている鉄の量の多少や、チタン、マンガン、クロームその他の不純物によって黒、飴、柿色等に発色しています。
黒唐津の一種に蛇蝸唐津があります。
黒釉をかけ、その上に失透性の長石料をかけたもので、長石料の下から鉄釉がにじみでて蛇蝸のように見えます。

斑唐津

藁灰を主成分とした釉で、釉の性質上、釉にむらむらができるところからきた名称です。
斑唐津を焼いた窯は帆柱、岸岳皿屋、道納屋谷、山瀬、大川原、椎の峯、藤の川内、阿房谷、道園などの諸窯です。

三鳥唐津

慶長の役後渡米した韓国南部地方の陶工達により李朝三島の技法が伝えられ、有田磁器発生後磁器窯にならなかった椎の峯山、弓野山、小田志山、庭本山等の諸窯で発達して唐津特有のものになりました。
元来、鉄分の多い土を白くみせるため刷毛目、粉引の技術を使って白土で化粧するもので、刷毛目、粉引のままのものもありますが、たいていは白化粧のあと櫛で文様をかいた櫛刷毛目、文様を線彫りしか彫三島、染物の型紙を使って文様をかいた型紙刷毛目、。
鉄と銅で文様をかいた二彩唐津、線彫りや印花のあと白土、赫土を塗り込んで表面を削って文様を出す象嵌、白土化粧の上から鉄または呉須で文様をかいたもの等多種多様あります。


「唐津その歴史」も参照

古唐津の装飾技法

装飾技法は、李朝陶技を伝承し多様性に富む。

絵唐津

古唐津の絵文様は、写実的なものを僅かに文様化したものが多く見られます。
これは陶工の意識から出た装飾性ではなく、同一の絵文様を反復して描いている間に、簡略化され、文様化され、織部様式とは趣を異にしたモチーフとして描かれています。

絵唐津の文様は、松浦地方の山野、武雄地方の山野に生える草花類が多く描かねています。
筆先のうえの技巧的な描写ではなく、心の動きによって自然に描かれています。
枯淡そのものの絵唐津の世界です。

筆で描いたもの、藁の芯を取り出し、先を刃物で切って芯書したもの、あるいは指描きしたものが多く見られます。

筆といっも決して上質なものではなく、毛並の荒い筆です。

それぞれの器の形のなかに、空間をほどよく残し、余韻のある絵文様を力強く描いています。

李朝鉄砂によく似ており、絵高麗に相通う装飾性が絵唐津にみられるものの、絵文様は、和様化された日本独自の世界のようです。

志野・織部と古唐津の絵文様と画題は、共通したものがみられますが、古唐津は線描きが自由で力強く、絵志野や絵織部は繊細です。

絵唐津は自然の風物、自然の野草を描き、幾何学的な絵文様が僅かに武雄南系の小山路窯にみられる他は、ほとんど野鳥・草花・草文です。

それに対し、絵志野・絵織部は図案化されたような幾何学的な絵文様が多く見られます。

絵唐津の絵文様と絵織部の模様との交流は、古窯址よりの出土品を比較すると不思議なほど類似模様が多く見られます。

古唐津の多久系の諸窯や、武雄系の諸窯の絵文様と、志野系の元屋敷窯の絵志野模様と比較すると、当時は交流があったのではないかと思われます。

装飾技法は、李朝陶技を伝承し多様性に富んでおり、九州諸窯のなかで、肥前一円の古唐津系ほど多岐にわたる装飾性をまともに反映しているようです。

絵唐津の区分

絵唐津は三要素といった観賞上からの区分と、陶技の上からの区分があります。

絵唐津は、素地の持味が明るく柔和で、美濃陶に相通った雰囲気があるようです。

釉石は長石のみでなく微量の土灰か混入しているように思われます。

釉薬が透明釉調ですので、胎土の個性、窯場の地理的条件がある程度推察出来るようです。

絵唐津にも、黒味を帯びた鉄絵と、いささか茶褐色、赤褐色の鉄絵とがあるようです。

前者は窯出しの折りの急冷効果であり、後者は徐々に冷却した効果だと思います。

日常の雑器の中にみられる壷、火皿、大鉢をはじめ碗、皿類、向付、ぐい呑み、火人、香炉、徳利などの各品種にこの鉄絵が画かれているようです。

絵唐津には、運筆の妙味と窯場環境を知る陶工の遥かなる夢が託されているように思います。

単に、自由奔放の早業とは片付けられない何かが感じ取れるようです。

窯場によって写実的できれいな絵付けもありますが、作品の意匠、形状とその機能性をも考慮したがのように、まとまった文様を画いたところが絵唐津の魅力です。

これらの作品は、「手早い」絵筆の運びですが、手早い筆致の中に呼吸があり、伸びがあるようです。

岸嶽飯胴甕下窯の絵唐津(細い竹ベラで彫り描いた)などには彫絵唐津もあり、単調な鈍い筆致の下絵付けを施しているようです。

美しい絵唐津の窯場といえば松浦唐津系の道園窯か阿房谷窯であり、もっとも変化に富む絵唐津の窯場は唐津南部系の内田皿山系の「小山路窯」だと思います。

小山路窯は織部風な作風の窯です。

絵唐津の絵文様は千変万化で豊かです。

植物絵文様

葛、蔓草、燕子草、菖蒲、小引草、笹、わらび、ぜんまい、蘭、萩、山葡萄、柳、梅、菊、柿、松葉、董、芦葉、藤、茅、釣鐘草、松木を配した遠山など。

禽獣(きんじゅう)文様

千鳥、えび、蝶、雁、三羽烏、二羽鳥、鶴、など。

線文様

とくさ文、蔓草文、格子文、綱手文、かすみ網、三星文、山並み文、渦巻き文など。


これらの絵は、一見すると李朝鉄砂に良く似たものですが、文様構成は日本画的な俳画的な、枯淡な内容のようです。

植物類の絵文様が多いのは、窯場の周囲の山野の雑草、季節の変化の中での植物の自然の営みを文様化し、絵付けした陶工の、美へのあこがれ、美への営みのあとではないでしょうか。

松浦唐津系の絵唐津は全体的に淡々として簡素である線の太い絵文様があるようです。

絵唐津の窯場として有名なのは次の諸窯です。

松浦古唐津系
道園窯、阿房の谷、甕屋谷、焼山窯、藤の川内、椎の峯などの諸窯。

多久古唐津系
李参平の一団が開窯した唐人古場。

高麗谷窯、大山窯古唐津系
内田小峠、内田大谷、李祥古場、黒牟田、向家、川古谷、焼峯繁昌、内田小山路、袴野、庭木、小田志、弓野、大草野などの諸窯

平戸古唐津(西有田を含む)系
小溝山、原明窯、山辺田窯、小物成窯(西有田系)に平戸領内の薩の元窯、柳の元窯、水原窯などがあるようです。

刷毛目文・象嵌文について

絵唐津が鉄砂による線描き文なのに対して、古唐津系の諸窯には朝鮮、高麗の技法を導入した刷毛目文と三島手の象嵌文が見られます。

松浦唐津系では、椎の峯窯、献上唐津系の諸窯にこれが見られます。
しかし、武雄系、平戸系では刷毛目文、三島手文はほとんどの窯が試みているようです。

刷毛目文は、素焼の上に(生掛けの場合もある)透明度のある釉石、あるいは薄い鉄・飴釉を施し、その上に白化粧釉、または銅釉で、轆轤(ロクロ)の回転にしたがって線文様を描き、あるいは刷毛目の上から櫛目を付加した文様を描いています。

三島手象嵌文は、轆轤(ロクロ)で成形した作品(大鉢、平鉢、皿類、壷類、碗類)が生乾きの間に木型に彫り模様を彫りこんだ型文を深く押し、それが乾燥してから白化粧釉を掛け、布で軽くふきとると、刻文の部分のみが白くのこり、焼成すると象嵌手文に出来上がります。

雑器窯をはじめ献上唐津窯にもみられますが、慶長初期の創業期には少なく、江戸中期以降の作品に数多く見受けられるようです。

三島手技法では、松浦地方の椎の峯窯、献上唐津窯があります。

内田大谷窯、川古、焼峯、庭木、小田志の諸窯にも見受けられますが、南部系の大草野窯が有名であり、南部系にもすぐれた作品が多くみられます。

刷毛目の技法は北部系の内田山の大谷窯をはじめ川古谷、焼峯、南部系の庭木、小田志、弓野、平戸系の木原、諌早の現川窯が有名です。

刷毛目技法

・櫛目技法は、「刷毛目唐津」
「櫛目唐津」と呼ばれていますが、慶長末年から元和初年前後に開窯された窯に伝承されています。

褐色の胎士に白土(化粧土)を刷毛で塗布した器もありますが、また化粧土を施した器の上に櫛目文様をそえた技法もあります。

あるいは白化粧を施した上に鉄絵を描いているのもあれば、指で線文をそえた器もあります。

主として古唐津松浦系の椎の峰窯や武雄北系の内田大谷窯冲川古釜の谷窯・焼峰繁昌窯にもみられ、黒牟田系の諸窯にも多く見られます。

また武雄南系の庭木窯・小田志窯・弓野窯では、刷毛目絵文様の器が量産化されています。
江戸中期になると諌早領内の現川窯に刷毛目技法は導入され、江戸後期には筑後の二川窯へも影響を及ぼしたようです。

象嵌技法(三島唐津)

象嵌技法(三島唐津)は、朝鮮三島の技法を松浦地方や武雄地方・多久地方の諸窯で伝承したもので、帆俯で水引きした成型の器が、まだ乾燥しない間に、あらかじめ用意した木型文(花文・幾何文・渦巻文など)を押して凹文様を彫り出し、その上に白化粧土を刷毛で塗布し、その後、布でふきとると、白土は凹文に残り、白の地文ができあがります。

この技法を三島手と呼んでいますが、武雄北系の内田小峠窯・内田大谷窯をはじめ、川古釜の谷窯や、象嵌手の小振(三島唐津)伝世品のある大草野窯・小田志窯・百聞窯に多く、また古唐津松浦系の椎の峰窯にもこの技法は伝承されました。

九州諸窯では豊前の古上野の古窯や肥後の高田古窯にも、この象嵌技法は交流しています。
江戸後期には唐津茶碗窯の「献上唐津」にも応用されました。

摺絵唐津は型紙(型絵)を器物にあて、鉄薬や白化粧土を刷毛や荒い筆で塗布し、型紙をはぎ、型文様を残す技法ですが、「鉄絵摺」は飯胴甕窯の出土陶片にも見受けられ、白土を利用した「自絵摺」は、古唐津武雄系の北部の川古釜の谷窯、あるいは古唐津松浦系の椎の峰窯よりの出土陶片にも確認されています。

彫唐津

彫絵唐津は、生造りの成型素地のうえに竹箆・釘箆で単調な模様を彫り出したものと、刷毛目の上に絵文様を線彫りした技法が伝承されました。

飯胴甕窯の出土陶片にみるように彫模様の沓茶碗は、彫唐津としては古い様式です。
白化粧の上に、線彫りをそえた碗や皿・鉢類は、椎の峰窯・内田小峠窯・小田志窯の出上陶片や伝世品にみられます。


「唐津その歴史」も参照


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粉青沙器は印花文・象嵌文が先に発達し、剥地文・彫花文・鉄画文・刷毛文・粉粧文など白上粉粧の変化によって種類も多様になりました。

こうした粉青沙器は十五世紀初期すでに器形・文様・釉薬などから粉青沙器としての特徴を表わし始め、印花文・象嵌文・剥地文・彫花文系は世宗から世祖代まで、鉄画文・刷毛文・粉粧文系は成宗代まで殆んどその完成を見るに至ったのです。

粉青沙器の特質は、種々の粉粧法からくる力強くも、新鮮潤達な、そして自由奔放な粧飾意匠ですね。

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