唐津ぐい呑み
唐津ぐい呑みの魅力は、素朴な土の温もり、土の味わい。「陶工」の目指したものそれは、「用の美」

古唐津の魅力-陶片


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肥前陶磁の系譜

古唐津の源流と系譜。

肥前は、かつて明治以前の地方行政区分だった国の一つで、西海道に含まれます。現在の佐賀県と、対馬市と壱岐市を除く長崎県にあたる一帯を指し、清流と源流にある山々があります。

この美しい肥前の清流と山々には、古代人の営みの跡や、九州窯業芸術の源流である古唐津系陶器の素晴らしい窯里があります。

西肥前は、近世日本の窯業芸術の聖地ともいえる染付磁器の窯里、赤絵の里が、いまもなお五百年の歴史を秘めながら脈々と息づいています。

肥前陶磁の系譜、それは、五百年の伝統の陶技として継承される古唐津系の、いかにも九州的な、いかにも唐津的な窯業芸術の史譜ですが、また近世の工芸に新しい東洋の磁器として、アジアはいうまでもなく、遠くヨーロッパ市場に迎えられた有田窯業芸術の源流です。

肥前の山里には、いまもなお古唐津の系譜の古窯址が数多く点在しています。
東松浦・西松浦地方の唐津陶のふる里、それはかつての陶工たちが絵唐津の模様に描いた野すみれが咲き、わらびが芽生え、水苔が潤い、雲雀が鳴く春の古窯址であり、葦の葉がゆらぎ、粟が実り、野雀が群れ遊んだ秋の古窯址です。

古唐津創業の史譜を物語る岸嶽古城下での帆柱・飯胴・皿屋などの古窯址は、中世末の肥前庶民の雑器を生み育てた李朝の匂いが漂う窯里です。

古唐津の系譜は、九州の茶人神谷宗湛(かみやそうたん)と近世茶陶の演出家である、茶匠であった古田織部重然(ふるた おりべ しげなり / しげてる)によって、香り高い茶室に、茶陶として、豊かな茶道の器になっていきました。

伊万里港に近い西松浦地方の古唐津系の古窯址である群窯、椎の峰窯・道園窯や甕屋の谷窯・市の瀬窯・阿房谷窯・藤の川内窯などは、茶陶古唐津の名陶名器のふる里です。

桃山の悲劇の主人公、波多三河守親から、寺沢志摩守広高へ領政を交代した唐津領内の窯里は、茶陶唐津の母なる里です。

桃山期から江戸初期を迎えた肥前の山里は、土着の陶工と李朝系の陶工との「技」の交流がはじまり、いつしかみごとに融合し円熟しました。

その窯業の波動は、多久古唐津の系譜となり、健康的な、朧能的な、生活的な武雄古唐津の系譜となりました。

武雄南北の山野には、武雄邑主(領主)の心くばりのなかで「織部唐津」へと様式づけた内田皿屋の小山路の古窯址があります。

肥前民話陶器の胎動の地である錆谷、内田小峠、黒牟田、多々良の古い窯場があります。

武雄温泉・嬉野温泉に程近い山里には、江戸時代の陶工が窯業芸術の夢を託した刷毛目象嵌の火鉢を生み、松絵山水図の水甕、こね鉢を焼成した小田志・庭木・弓野などの大規模な窯場が営まれました。

西肥前の有田郷は、有田川より桃山初期まで有田丹後守一族一門によって守られていました。
その有田氏の居城であった中世の唐船城址から見る有田川は、肥前磁器の史譜を今に伝えています。
有田川は、秘境黒髪山を源とし、有田郷内を流れ、有田磁器の積出港の伊万里港へ流れています。

慶長末期に発見された白磁器の山、有田泉山は肥前磁器の母なる山です。
有田の里には、磁器制作の白川天狗谷の古窯址があり、近くには百聞・小樽・稗古場の古窯址などがあります。
それぞれに李朝系陶工の白磁への情熱の表れで、清澄な染付磁器の匂いを今に伝えています。
長く窯業を営んでいた窯場も、時運の流れのなかで磁器窯として、その生産体系を変えました。
ここに陶器と磁器の接点があります。

佐賀鍋島藩は、御家芸として磁器赤絵の秘法を守りました。
赤絵町には御用赤絵屋をはじめ登録赤絵屋が赤絵付の秘法を守り、他領内からの近寄れない有田皿山です。

有田の皿山は、白川の渓流が流れ、松林にかこまれた窯里です。
鍋島藩の「掟」のなかで、有田皿山代官は、内山の窯と陶工を守り、外山の窯場を守りました。
その成果は、江戸や京や浪花や越前・越後の諸国詰領の問屋筋により「伊万里焼(いまりやき)」として国内市場に幅広く取引されました。


「唐津その歴史」も参照

古唐津陶の意義

日本の茶陶の系譜は、主に「古瀬戸」と「古唐津」

古唐津-陶片日本の茶陶の系譜は、主に「古瀬戸」と「古唐津」で総称されるようです。

「楽」は別格で、千家十職のなかの御用陶であって、陶技上においては諸窯との交流は全くみられないようです。

古瀬戸といって、茶陶の世界を代表するような幅広く呼称される瀬戸・美濃系の諸窯は、遠く平安時代に開窯され、その歴史的背景は長い歳月を経ています。

そのため、近傍地域への伝播も早く、宋時代に、朝鮮半島に渡海して喫茶の道を体得した禅僧たちが持ち帰り、舶載品としての茶陶が「唐物」として珍重されたようです。

当時の貴族文化の生活様式のなかで、社交調度品の枠内で不可欠な名器・名物として登場すると間もなく、日本の茶頭・茶匠たちは「和物」の茶器を発見し、在来の雑器窯から茶陶を制作するようになりました。

領主経済の枠内から出た民窯的な雑器を焼く窯が、筑前の小石原・野間・西新町地方に、肥前の北茂安・松浦・武雄地方に、薩摩の苗代川・竜門寺地方にそれぞれ開窯されました。

「唐物の名物」の茶陶の持味を充分に反映し、完成された日本的な個性を宿した、瀬戸黒・志野・織部などといった呼称の、「和物の名物」の茶陶が、格調高い内容をもって焼成されました。

東山文化に登場し、茶会席に用いられた古瀬戸系の名物碗は、当時の政治の中心地である京都に近い比較的に有利な立地のなかで、焼成されていきました。

その頃はまだ貴族と武家社会のなかでの茶会の茶陶であったので、およそ庶民の生活とは遊離したものだったようです。


これに対し、古唐津の系譜に属する陶器が茶席に登場したのは、古田織部の茶会記や神谷宗湛の茶会記に示すように慶長の中期です。

室町中期に開窯されたと推察される西域の松浦地方の波多領内の施釉陶が、茶陶として発見されるに到るには、数多くの社会的要因があると思います。

これが、古唐津にも関連し、古唐津系譜の、「雑陶時代」と「茶陶招来時代」との比較研究に大切なことだと思います。

茶陶として発見される以前の古唐津の製品は、あくまで雑器で、雑陶です。
この時代の古唐津についての研究が、あまりなく、古唐津研究が茶陶一辺倒であったことが、古唐津の研究を遅らせた結果になったのだと思います。

比較的に「末廬の国」の「唐の津」に近い環境で、また中世の鎌倉期から五百有余年におよんだ松浦地方の波多一族の勢力下にあった領内で、焼成された陶器は、その品種・形状、品種別の役割、陶技の粗野性からみて、肥前西域の松浦地方の庶民の生活に直結した作品で、食生活の道具類です。

古唐津は、装飾的な作調はなく、機能本位で、意識的に茶陶的な要素は稀薄です。

一般に古唐津岸嶽系の諸窯や、古唐津松浦系に属する、もっとも初期の椎の峰窯の製品には、祭祀用具や装飾性を帯びた花器類などは皆無と加えて成型・施釉・作詞ともに、朝鮮の高麗末期から李朝初期にかけての陶技の内容が端的に反映されているようです。

松浦地帯の山村の農民や、松浦海域の漁民や、松浦領民の生活の用に供した雑陶加、古唐津の第一期窯である茶陶以前の諸窯で、室町末期から桃山期にかけて製作されたと推察できるようです。


「唐津その歴史」も参照

唐津ぐい呑み作品集

唐津ぐい呑み作品集

唐津ぐい呑みサイトの「陶工達」の作品集です。

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唐津-その歴史

唐津ぐい呑み-斑唐津

無名の唐津焼が、老舗の美濃・瀬戸などの大産地と肩を並べ得た背景は何でしょうか。

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古唐津の魅力

唐津ぐい呑み-古唐津

桃山文化がはぐくんだ古唐津の魅力とは

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ぐい呑み-その魅力

唐津ぐい呑み-唐津皮鯨

唐津のぐい呑みとは実に不思議な器ですね。
酒を呑む器として、ごくありふれた器なのに。

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唐津-技術と技法

唐津ぐい呑み-土と釉薬

陶土のあるところ、その顔料があり、しかも上に生えている松は燃料で、その灰は釉薬の原料。これらすべて神のなせる業。

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陶芸-用語集

唐津ぐい呑み-日本人の感性

桃山時代に花開いた唐津焼などの焼き物にはいろんな名前が付きました。焼き物専用の用語がたくさんあります。
焼きのもの語源を調べると一層焼き物が好きに。

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日本人の感性

唐津ぐい呑み-日本人の感性

やきものの「景色」は具象的に自然などの景観をイメージするというよりは、「見どころが多い」というほどの意味に使われるようです。
日本人は、その変化を感性で感じ取っています。

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唐津焼-育てる

唐津ぐい呑み-斑唐津-育つ

使っていると酒器はだんだんとその表情を変えていきます。
これも酒好き、酒器好きの楽しみの一つですね。

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日本酒とぐい呑み

唐津ぐい呑み-片口

神前に御神酒を奉納し、収穫をすれば神に感謝し、人々は酒を飲み交わす。
「御神酒あがらぬ神はない」、人が酒を飲むのは当たり。

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唐津の源流-
李朝・高麗

粉青沙器(粉粧灰青沙器)

唐津ぐい呑み-粉青沙器(粉粧灰青沙器)唐津ぐい呑み-粉青沙器(粉粧灰青沙器)
粉青沙器は印花文・象嵌文が先に発達し、剥地文・彫花文・鉄画文・刷毛文・粉粧文など白上粉粧の変化によって種類も多様になりました。

こうした粉青沙器は十五世紀初期すでに器形・文様・釉薬などから粉青沙器としての特徴を表わし始め、印花文・象嵌文・剥地文・彫花文系は世宗から世祖代まで、鉄画文・刷毛文・粉粧文系は成宗代まで殆んどその完成を見るに至ったのです。

粉青沙器の特質は、種々の粉粧法からくる力強くも、新鮮潤達な、そして自由奔放な粧飾意匠ですね。

唐津の源流ともいえる李朝の世界へ