古唐津の魅力。
日本人にとって古唐津には特別な魅力がある
古唐津はの色彩は地味な灰色や白と黒など無彩色に近く、形姿も特に目立つものではなく、絵文様もいたずら書きに近いような簡単なものが多くみられます。
見た目は本当に地味で平凡で目立たない”やきもの”です。
こんな古唐津が古陶磁の世界においては信楽・李朝・伊万里などと並んで圧倒的な人気を誇っているのはなぜでしょうか。
それも、古唐津は古来から珍重されてきていたというから不思議な”やきもの”です。
日本人にとって古唐津には特別な魅力があるからだと思います。
外国人には見られない日本人独特の”やきもの”への「感性」の違いがあるからだと思います。
鍋島や柿右衛門などのように良質な磁器素地、端正で崩れを見せない形、絢爛たる色彩美にあふれた磁器などへの美意識は日本に限らず、中国、韓国をはじめ欧米諸外国を問わず共通していると思います。
しかし、「景色」「土味」「手ざわり」「映り」「古色」など五つの要素は、私達日本人が長い間に熟成させてきた他国には見られない独白の美意識だと思います。
古唐津をこれらの要素から見渡して見ると、まさにその魅力の近づくことが出来るような気がします。
他の”やきもの”に比べて古唐津はこの五つの要素をより強く内包し、その魅力があると思います。
景色
陶磁器に「景色」という言葉を用いるのは日本だけだと思います。
この「景色」は作業上、あるいは焼成中に当初から計画したとおりというよりも、偶発的に起こってくるさまざまの変化を見所とするもので、人工に対して天工と呼ぶべき変化です。
成形中に図らずもついた指跡や歪みや、火の当たり具合による地色の変化、釉の予期せぬ発色や混じり合い方、流下するさまなどです。
精巧な磁器などは当初に計画したとおりの完成が目標なのでこうした変化はむしろ避けますが、備前・信楽などの焼締めや志野・唐津などの陶器には、これらの景色が良くあらわれています。
土味
土味とは”やきもの”の原料である土そのものの個性、またその味わいを吟味する美意識です。
この土味に相当する外国語はなく、この美意識が日本だけのものであることを物語っているようです。
備前や信楽などの土だけで出来た”やきもの”や、志野や唐津などの個性豊かな土味の中で、日本人の”やきもの”への鋭敏な感性は磨かれて来たのだと思います。
数多い”やきもの”のなかでも、唐津は特にその土味が貴ばれ、また愛でられてきました。
岸岳のざんぐりした砂目の明るい土味、松浦のキツネ色に発色した緻密な土味、その土味は一定ではないようです。
そう広くない古唐津の地域ですが岸岳・松浦・武雄・平戸・山瀬などその土味は多彩で、それぞれの個性を主張しています。
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手触り
「手触り」は指先に感じる表面状態の粗さやなめらかさ、掌に感じる全体の形、また重さなどへの感性です。
これは主として使用することによって感じ取るものですが、時として目で見ての視覚から感じ取ることもあります。
古唐津は特に使用する頻度の高い古陶ですが、この「手触り」の良さは隠れた古唐津の美しさといえます。
その器形を見ると古唐津には、するどい稜を持つものは見られず、角型のものでも丸みを帯びています。
そのため手触りはごく滑らかで穏やかで心を苛立たせることがありません。
茶碗や盃などの場合、口につけてもその□当たりはやわらかく、きわめて心地いいものです。
同じ厚さや大きさで比べてみると、古唐津は他に比べて重いものが多く、掌にずっしりとした安定感をもたらしています。
この辺りも古唐津の感触の充実感を構成している要因だと思います。
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雨漏り
「雨漏り」というと李朝の粉引や堅手に出るものと思われがちですが、唐津の伝世の優品には意外と雨漏りの出たものが多く見られます。
あの白い志野に雨漏りがほとんど見られないのとは対照的です。
雨漏りは古唐津の永い伝来の証しですが、発掘品では愛用の期間が短いため、雨漏りはほとんど見られません。
発掘品でも雨漏りの様なしみが短期間で出ることもありますが、これは釉が侵されて風化した空隙によごれがしみ渡ったもので本来の雨漏りとはいえないようです。
古唐津の場合は粉引や堅手の様に白い器肌ではなく、その胎土は灰色ないし褐色の色をもつため、雨漏りがあまり目立たありません。
特に飯胴甕窯のもので、長石分の多いに貫入の大きな釉には見事な雨漏りが彩っているのをよく見かけます。
雨漏りに限らず唐津は使う事によって経年変化を来たし、最初の姿とは見違えるような景色や味わいを身につけています。
日本の”やきもの”の中でも「育つ」”やきもの”の最たるものの一つであると思います。
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古唐津(唐津焼)の種類
古唐津には多様な技法があります。
奥高麗
奥高麗茶碗は井戸、熊川、柿の蔕(へた)などの高麗茶碗を手本とし、最初から抹茶碗として作られた無地茶碗をいいます。
点茶が盛んに行われた桃山時代、人々は高麗の茶碗を珍愛したが、舶載のものが少なく、そのために高麗茶碗に似たものが焼山、甕服の谷、藤の川内、市ノ㈲高麗神、川古窯の谷、蔽の元、大草野などの諸窯で作られました。
釉は長石釉で白、枇杷色、薄い柿色、淡い青磁色に発色し、高台は低い竹の節、高い直立型、八宇高台などがあり、見込みには重ね焼きした跡の目跡が残っています。
瀬戸唐津
瀬戸唐津は尾張瀬戸の釉を用いるためにこの名があります。
また瀬戸に酷似している唐津ですためにこの名があるといわれています。
白土で白色釉を施しています。
瀬戸唐津には本手と皮鯨手の二種があります。
茶家の間では本手の方が皮鯨手より古いといわれています。
絵唐津
鉄釉で文様を描き、長石釉をかけています。
絵唐津の意匠には李朝風な簡素なものと、織部焼に似たものがあります。
文様としては草文が最も多く、抽象文は、点、三星、円、×印などがみられ、具象文としては、薄、葦、唐草、竹、笹、柳、野ぶどう、藤、三葉、水草、松、梅、桐、海老、魚、千鳥、雀、鳥、兎、網干、橋、車、山水など多様ですが、古窯のほとんどで絵唐津が焼かれています。
彫唐津
彫絵唐津成形後、胎土がやわらかいうちに、×印など簡単な文様を彫りつけ長石釉をかけて焼いたものをいいます。
彫文様にそって鉄釉を流しかけたものを彫絵唐津といいます。
彫唐津茶碗の陶片が飯洞甕下窯から出土しています。
斑唐津
斑唐津とは失透性の藁灰釉をかけたもので、全体が乳白色の表面に粘土の中の鉄分や燃料の松灰が溶けだし、表面に青や黒の斑点ができやすいところからこう呼ばれます。別名を白唐津ともいいます。
「唐津と言えば斑、斑と言えば唐津」と謳われるほど、 唐津焼における斑唐津は、至宝とも言うべき特別な存在のやきものと思います。
茶碗、皿、鉢、壷、徳利、盃などがあります。
斑唐津を焼いた窯としては、帆柱、岸岳皿屋、道納屋谷、山瀬-などの岸岳系諸窯がよく知られていますが、櫨の谷、大川原、椎の峯、藤の川内、金石原、中の原、岳野、泣早山、阿房谷、遊園、焼山、市ノ瀬高麗神の諸窯でも焼かれています。
朝鮮唐津
元来は朝鮮産か唐津産か区別のつかないやきもので、当時外国と言えば朝鮮が一番身近のようで、外国と言えば朝鮮という意味合いから来て、異国の所産のような唐津焼、朝鮮唐津と伝えるようになったようです。黒飴釉の上に海鼠釉を掛けたりまたその逆海鼠釉の上に黒飴釉を掛けわけたものを朝鮮唐津とよんでいます。
この技法は全国の諸窯などに数多くありますが、朝鮮唐津は、黒飴釉の部分と海鼠釉の部分とを別々に掛け分けて、やや重なり合った部分が高温でガラス化し黒の部分と白の部分が溶け合い、絶妙な色と流れ具合の変化が特徴になります。
唐津焼とは、初期の頃は壺・皿・碗等の一般民衆が使う器を生産していたのですが、桃山時代の豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592)頃より秀吉をはじめ千利休・古田織部等の中央の武人茶人達の影響を受け、お茶の文化が入ってき来たようです。
そのような時代的な背景で形状や装飾等に変化が現れてきたように思われます。
装飾の面では、初期の唐津には単独の顔料で絵を描き一種類の釉薬を掛けているだけが多かったのですが、時がたつにつれ絵唐津や青唐津などもそうですが、朝鮮唐津は特に、織部焼がペルシャの陶器に影響を受けたように唐津もそのようで、それぞれ違う釉薬を使い分けた装飾法が発展したと思います。
今でこそ流れ具合を重要視しますが、昔は、ただ掛け分けたという感じが強いようです。
朝鮮唐津の作品には水指、花生、徳利、茶碗、皿などがあり藤の川内窯で焼かれたものが有名です。
青唐津・黄唐津
木灰釉をかけて焼いたものですが、釉の中に含まれている鉄分及び胎土に含まれている鉄分が、還元炎では青く発色し青唐津となり、酸化炎では淡黄褐色に発色して黄唐津となります。
茶碗、皿、鉢、向付、徳利などがあります。
肥前の諸窯で焼成されていますが、飯洞甕下窯、飯洞甕上窯で焼かれたものが最もすぐれたものとされています。
辰砂唐津
釉に含まれる銅が環元炎によって赤く発色したものを辰砂唐津とよんでいます。
銅は還元炎によっては赤、酸化炎によっては緑に発色するが、窯の中で還元炎、酸化炎と焼成され、赤と緑の窯変の美がみられます。
辰砂唐津を焼成した窯としては、椎の峯窯、宇土の谷窯がよく知られています。
黒唐津・蛇蝎唐津
黒唐津は木灰釉に鉄分が多量に入った釉をかけたもので、和中の鉄分の多少により、黒色、飴色、柿色に発色します。
作品には、茶碗、壷、水指、花入などがあり、ほとんどの窯で焼成されています。
蛇蝎唐津は黒唐津の一種で、黒釉の上に失透性の長石釉をかけて焼成したもので、釉肌が、蛇やとかげの肌に似ているところからその名があります。
沓茶碗や沓鉢にすぐれたものがありますが、李祥古場、祥古谷で焼成されています。
三島唐津
慶長の役後、渡来した韓国南部地方の陶工達によって伝えられた技法を示すものに三島唐津があります。
三島唐津には象嵌、刷毛目、型紙刷毛目などありますが、いずれも白土を使用する点が共通しています。
「三島」とは器がまだ生乾きのうちに、印花紋、線彫、雲鶴(うんかく)等の文様を施し、化粧土を塗って、削りまたは拭き取り仕上げをした後に、長石釉や木灰釉をかけ、焼き上げたもので、象嵌(ぞうがん)の一種です。
李朝三島の流れを受け継いでいるので三島唐津というそうです。
なお韓国では三島のことを粉青(ふんせい)とよんでいます。
象嵌
象嵌(ぞうがん、象眼とも)は、工芸技法のひとつです。
象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味があります。
象嵌本来の意味は、一つの素材に異質の素材を嵌め込むと言う意味です。
やきものでいう象嵌は胎土のやわらかいうちに、刻印を押したり、線彫りしてその文様にそって白土を嵌め込むものです。
茶碗、水指、鉢などが小峠、庭木、小田志、大草野の諸窯でつくられています。
献上唐津
江戸時代の幕府に献上した唐津焼のことで、寺沢志摩守広高が椎の峰の陶工に命じて作らせた唐津の茶碗を徳川幕府に献上したことにはじまります。
以後大久保、松平、土井、水野の代々の唐津城主の時につくられ大正期まで焼成されていました。
絵付けは御用絵師によって行われ、胎土はきめ細かく、雲鶴文の象嵌がよく知られています。
この種は大正開まで焼成されていました。
絵付は御用絵師によってなされ、胎土上はきめ細かく、雲鶴文の象嵌がよく知られています。