古唐津の魅力古唐津の歴史は短いのですが、日本の古陶磁の長い歴史の中で”やきもの”としての存在感は決して劣ることがありません。 |
古唐津の歴史的背景韓国と日本の歴史と文化、両国の感性の狭間から生まれた古唐津。 |
古唐津の技法古唐津の造形美をつちかっている特長の一つとして土味、胎土の持つ材質美です。 |
古唐津の諸窯文禄、慶長の役以前、松浦党波多氏の居城であった岸岳城を中心としたいくつかの窯で唐津焼が作られていたことは、今日残っている窯跡の調査でも証明されています。 |
古唐津の魅力
なぜ、古唐津は魅力があるのでしょうか?
「唐津は奥が深い」
「唐津は茶陶が最も美しい」
「唐津は斑唐津に限る」
「無地唐津が最も良い」
「唐津は青唐津」
「唐津はやはりぐい呑みでしょう」
焼かれた窯、釉薬、造形、高台の削りや土見せの善し悪しなど、熱く語り続ける愛好家が唐津に寄せる思いにはそれぞれに深いこだわりがあるようです。
日本の古陶磁の長い歴史の中で、わずか40年位しか生産されなかった古唐津。
その短い生涯から生まれた魅力の原点はごく単純な事実にある様に思います。
古唐津が焼かれた窯は、200ヵ所を超すといわれています。
さらに、新たな窯跡が今もなお発見されているようです。
これらの窯から生まれた”やきもの”は、造形の統一が見られても他の”やきもの”に比べ土の硬さや、色、焼き上がりなどがかなり広い範囲にわたっています。
これらは、古唐津の魅力の有力な手がかりといえます。
同じ釉薬であっても、使われた成分は異なります。
土の特徴や焼き加減により、造形が同じであってもその色合いや深み、透明度が大きく異なることがあります。
古唐津の窯で取り入れた技術や土味、造形でおおよそ検討のつくものもありますが、解らないものが多く見られます。
18世紀が終わりかけた時に、突然現われた古唐津。
韓国と日本の歴史と文化、両国の感性の狭間から生まれた古唐津。
最初期のものには李朝堅手の素朴な作品が多く、初期の鉄絵は李朝前期の絵が取り入れられているものもあります。
織部好みの造形や絵が取り入れられることがあっても、唐津の持つ感性が、後に美濃などの”やきもの”への逆流も起きています。
古唐津の歴史は短いのですが、日本の古陶磁の長い歴史の中で”やきもの”としての存在感は決して劣ることがありません。
古唐津が持つこの生命力が独特の魅力を生み出しています。
古唐津を生み育てた風土
野育ちの雑器
白くない土だから、「ここまでのものなのだ。」という見切り
古唐津の窯は多くみられますが、それぞれの窯別の作風の差はあまりないように思います。
岸岳の斑唐津や藤ノ川内や牛石の徳利類といった一見して窯が判別出来るものもありますが、全体的には似たようなものが各窯で焼かれたという感じです。
特に絵唐津は、前期の岸岳系のものから盛期の松浦系や平戸系まで、そのモチーフや簡略度があたかも一つの窯から産まれ出たように酷似しているように感じます。
文様のモチーフですが、風土に密着した樹木、花等の柚物文、網目等の海辺風物や鳥など身近なものに限られて共通しており、それから離れた特殊な模様はあまりみられません。
不思議なことにその描画の簡略化も同じような文様に見えます。
この唐津の土を使う限り、暗い色調でしか仕上がらないようです。
美濃の土のように、李朝の磁器のように、地が白いとその絵付もさえてくるのでしょうが、唐津ではそうはいかないように思います。
輸入磁器や美濃陶器等と比べてみると、唐津ではどうしてもその土の性質上、装飾的効果は低くなるようです。
今でこそ、このような風合いを滋味溢れるものとして評価されますが、当時はそうではなかっただろうと思います。
そういう白くない土だから、「ここまでのものなのだ。」という見切りが唐津の数多い窯に共通した認識ではなかったのではないでしょうか。
自分らは上物を作るのではなく、自分らとおなじ人々へ向けて作るという意識、その土の色から、民衆用の雑器に徹してしまったのではないでしょうか。
それだからこそ唐津焼には肩肘張った作品や緻密なな上手物は見られず、野育ちそのままのこだわりのない造形や絵付が共通してなされたのだと思われます。
それこそが古唐津の力であり、魅力なのだと思います。
茶陶にしても、この野育ちの雑器のとして作られたからこそ、野趣溢れる器として愛でられたのではないでしょうか。
唐津ほど土味に直結した”やきもの”も少ないが、この唐津焼全体の性格を、この色の付いた土が決めたということも、土自体の性格から上手ものは焼けないと見切ったことが、古唐津の自由でのびやかな性格を形作ったと思われます。
土、まさに風土が古唐津を生み育てたと思います。
古唐津への想い
古唐津の魅力は、大きく二つあると思っています。
第一には持ってみてその形や色から受ける量感と、予め想像した重量との差を楽しむことのできる楽しさです。
古唐津、特に慶長年間に作られた甕や壷は見た目の重さに対して、非常に軽く感じます、実際軽いのです。
これには、理由があり、この頃の甕や壷はほとんど土灰釉が掛けられ、濃緑色(青唐津)や黒緑色(黒唐津)をしたものが多く、見た目には重そうですが、叩き技法で器壁を薄く叩いて形づくられているため、持つと軽いのです。
いろいろな説がありますが、参勤交代時にお殿様の水係のため少しでも運搬する人のことを考えて少しでも軽くして、少しでも多くの水を運ぶためだったとも考えられています。
この見た目とのギャップはこの時期の古唐津の甕や壷の見極めと楽しさの一つです。
別の言い方をすれば、重い甕や壷の古唐津は贋作ともいえなくはないかもしれません。
これは、碗の場合も同じで、重く見えてひと心おいた重さの碗と、軽く見えてひと心おいた重さの碗があります。
このひと心おいた重さの碗は、古唐津にしかなく、今できの写しの唐津には少ないようです。
古唐津では、基本的に桃山文化を代表する茶の湯の道具は、つくられなかったのではないかと思います。
水指や抹茶碗(奥高麗)などがありますが、伝世されている茶道具は、そのほとんどが日常の器を見立てたものだと思います。
このひと心おいた重さは、見立てた茶人の美意識の一つとしてもたらされたもので、見立ての美意識に支えられた古唐津の美の要素の一つだと思っています。
第二の魅力は、重厚な器形の表情とともに、一碗、一皿ごとの器面の釉薬の濃淡や溜まり、あるいは火表と火裏による釉調の変化、さらに器面に偶然に現われた火間や、鉄絵とその上に掛けられた透明釉との境での微妙な釉の染み出しや溶け込みによる変化を楽しむことができるということではないでしょうか。
高台の土見せ部分の火炎が描き出す、火表や火裏の様々な色合いの変化は、褐色から茶褐色、黄褐色から黒褐色と、窯が築かれ用いた土の違いにより様々な表情を持っています。
松浦唐津の胎土は、一様に鉄分が少なく、黄灰白色でザックリとした粘り気の少ない土味をしているのに対して、武雄古唐津は、鉄分の多い土が多く全体にねっとりとした粘りのある、灰褐色の胎土が多いと言われています。
これも、窯が築かれた場所(土質)の違いによるものですが、この土味の違いが二つめの魅力です。
古唐津といわれる17世紀前半の唐津は土のあるところに窯を築いているため、窯ごとに土味が違っているとも言われています。
ひと窯ごとにその差を見いだすのは、実際には困難ですが、ある程度の窯は特定できるようになってきているようです。
この土味と釉薬の種類、あるいは鉄絵の文様の描き方などを総合してみると、ある程度作品がつくられた窯が絞り込めるほどに、最近の古唐津の窯跡の調査は古唐津研究会もあって、地元に密着した調査も行って進展しているようです。
焔の中で神の采配により作られた古唐津には、千変万化は限りなくあげることができます。
ここにも古唐津の大きな魅力があると思います。