唐津ぐい呑み
唐津ぐい呑みの魅力は、素朴な土の温もり、土の味わい。「陶工」の目指したものそれは、「用の美」

古唐津の魅力-陶片


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古唐津陶片の美

陶片は、真贋の鑑定の資料

陶片というのは、あたりまえですが、破損したものであり不完全なものです。

しかしながら、半分に割れた陶片であっても、その美しさが半分になったというわけではないように思います。

本物(ホンモノ)の一部なのだから、その絵付や釉調や土味を楽しむことが出来るのは完品と同様ではないでしょうか。

日本の”やきもの”でその「陶片の美」が十分に認められているのは志野・織部などの美濃陶、古唐津、初期伊万里など限られた産地のみに許されているのではないでしょうか。

これらの産地は、当時いずれも生産量が多く、発掘陶片も市場に大量に出回っていて、手に入れやすいように思います。

古唐津の中でも絵唐津の陶片は数も多く、唐津好き(古唐津好き)ならば誰でも何点かは持っているのではないでしょうか。また、見たことがあるのではないでしょうか。

陶片は、真贋の鑑定の資料にするばかりではなく、それ自体を鑑賞の対象として皿立てなどに掛けている人も多く見られます。

絵唐津の絵はシンプルなものが多く、また嫌味のないものばかりなので、たとえ一部とはいえその描線を見ると陶工の素直さが見るものの心に伝わり、素直な気持になれると思います。

古唐津の完品は非常に価格が高騰して、簡単に手元に置くことができなくなってきた昨今、良い陶片を探し出すのは唐津好きの飢えを癒す楽しみではないでしょうか。
また陶片とはいえ、完品よりも優れた描線や発色のものが見つかることもあります。

皿や平向付などの見込の絵が損なわれていないでほぼ全部あるものなどはほとんどなく、絵の一部が欠けているものがほとんどですが、その欠けた描線の行方を想像するのも楽しいものです。

不完全ではありますが、逆に完全なものにはない想像力の余白が残されていると思えば楽しいものです。

古唐津ほど陶片になった姿が似合う”やきもの”も他にはないと思います。

不規則な陶片の形に自由閑達な野の草や松や鳥たちが立ち現われ、そして消えてゆく様子を想像する。
古唐津の絵唐津はもともと円形や四角などの画面の中に収まるような絵付けではなく、枠などほとんど意識していない自由な描画なので、どこを切り取ってもその生命感は損なわれないと思います。

陶片発掘調査


古唐津の発掘調査により、各窯跡の構造や規模、あるいは、そこで焼かれた製品の内容やその組成から、その窯が実際に使用されていた時期が推察できるようになり、窯跡という産業遺跡の持つ歴史的・文化史的な価値が、以前にまして高まっているようです。

東京(江戸)や大阪(難波)など近世の大消費地における、昨今の近世考古学の緻密な調査研究と、伊万里・有田・唐津・武雄などでの、窯跡の詳細な考古学的な発掘調査等により得られた事実に支えられているようです。

窯跡の製品の内容から、当時の人々の生活や生業の一端、あるいは美意識などの精神世界をかいま見ることができるようです。


「唐津その歴史」も参照

陶片発掘

伊万里市内には桃山時代から幕末にかけての窯跡が80箇所ほどあると思われます。

伊万里と言えば、磁器の「古伊万里」のイメージが一般的ですが、市内に残っている窯跡のほとんどが、陶器(唐津)の窯跡であることは案外知られていません。

現在の伊万里市は、広大で、実に佐賀県の一割強の面積を有しています。
江戸時代には、大きく東西に譜代大名の唐津藩領と外様大名の鍋島藩領とに二分されていました。
市域の東部地域は、旧唐津藩領で、多くの陶器(唐津焼)の窯跡が散在しています。
東部や中部地域の大川町・松浦町・南波多町・大川内町には、古唐津の著名な窯跡が多数あります。

大川町には、梅沢記念館所蔵で、国の重要文化財に指定されている「松文輪花皿」や、出光美術館所蔵の「柿文耳付壷」などの、絵唐津の優品を焼いた窯とされる著名な甕屋の谷(神谷)窯跡があります。

この窯跡は、古唐津の愛好者の間では特に有名な窯です。
窯体の構造と規模・製品の内容は、窯室を10室ほど連ねる全長18mほどの窯で、各窯室の床面が傾斜し、窯室の平面形が窯の主釉方向に長い、初期の唐津焼の窯のようです。

このほかこれまで、古唐津の名窯とされる、藤ノ川内茅の谷窯跡(調査後、佐賀県史跡)・市ノ瀬高麗神下窯跡・阿房谷下窯跡などがあります。
これらの窯跡は唐津の優品を焼いたということです。

古唐津は、「一楽二萩三唐津」とその名声は高いのですが、窯跡の調査や保存が立ち遅れていると思います。

また、これらの陶片を整備、保存し、後生に残るようにするための施設や、唐津焼きの技法を伝えていく養成所もなく、古唐津の魅力を伝えていくためにも是非整備していただきたいと思います。

「唐津その歴史」も参照

盗掘について

窯跡などは、文化財保護法でいうところの遺跡にあたります。
特に窯跡は窯業という産業の歴史的な変遷や、陶芸をとおして日本人の美意識、あるいは、”やきもの”と生活との関わりや様子を知るためのかけがえのない、貴重な歴史的な遺産なのです。

この歴史的にも学術的にも価値のある窯跡を、破壊したり、勝手に調査をすることは、法により禁止されています。

例え土地の所有者であっても絶対に掘ることはできないのです。
窯跡の調査が正式にできるのは、文化庁長官が認める者(埋蔵文化財担当者か日本考古学協会員ですが、調査の申請をして長官から調査許可書を得た者)だけなのです。
それ以外の人は立派な盗掘者となります。

盗掘者は、窯のいたるところをみさかいなく掘り返し、物だけを持ち去ります。
これにより貴重な遺物や、窯の跡(遺構、遺跡)を壊してしまい、窯自体や、そこで作られた物自体の、学術的価値の判断を行なう術を奪ってしまいます。

それは、日本の歴史や文化を正しく理解する基礎的なデータを、集積する機会を永遠に奪う犯罪的な許されない行為です。

「唐津その歴史」も参照

唐津ぐい呑み作品集

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唐津ぐい呑みサイトの「陶工達」の作品集です。

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唐津-その歴史

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無名の唐津焼が、老舗の美濃・瀬戸などの大産地と肩を並べ得た背景は何でしょうか。

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唐津のぐい呑みとは実に不思議な器ですね。
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陶芸-用語集

唐津ぐい呑み-日本人の感性

桃山時代に花開いた唐津焼などの焼き物にはいろんな名前が付きました。焼き物専用の用語がたくさんあります。
焼きのもの語源を調べると一層焼き物が好きに。

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日本人の感性

唐津ぐい呑み-日本人の感性

やきものの「景色」は具象的に自然などの景観をイメージするというよりは、「見どころが多い」というほどの意味に使われるようです。
日本人は、その変化を感性で感じ取っています。

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唐津焼-育てる

唐津ぐい呑み-斑唐津-育つ

使っていると酒器はだんだんとその表情を変えていきます。
これも酒好き、酒器好きの楽しみの一つですね。

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日本酒とぐい呑み

唐津ぐい呑み-片口

神前に御神酒を奉納し、収穫をすれば神に感謝し、人々は酒を飲み交わす。
「御神酒あがらぬ神はない」、人が酒を飲むのは当たり。

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唐津の源流-
李朝・高麗

粉青沙器(粉粧灰青沙器)

唐津ぐい呑み-粉青沙器(粉粧灰青沙器)唐津ぐい呑み-粉青沙器(粉粧灰青沙器)
粉青沙器は印花文・象嵌文が先に発達し、剥地文・彫花文・鉄画文・刷毛文・粉粧文など白上粉粧の変化によって種類も多様になりました。

こうした粉青沙器は十五世紀初期すでに器形・文様・釉薬などから粉青沙器としての特徴を表わし始め、印花文・象嵌文・剥地文・彫花文系は世宗から世祖代まで、鉄画文・刷毛文・粉粧文系は成宗代まで殆んどその完成を見るに至ったのです。

粉青沙器の特質は、種々の粉粧法からくる力強くも、新鮮潤達な、そして自由奔放な粧飾意匠ですね。

唐津の源流ともいえる李朝の世界へ